コゴリオン

最近はラブライブサンシャインとか嵌まってる。ハースストーンと東方は今も好き

函館珍道中 with ラブライブサンシャイン

※こちらは4/26~28に函館を旅行した記録です。リハビリ兼ねて遊びながら書いてたらメインイベントであるラブライブサンシャイン函館ユニットカーニバルの感想の倍以上長くなったのでUCの感想は隔離しました。つまりこの記事に含まれているのは本当にただの巡礼記・旅行記です。サンシャインの話はあまり含まれておりませんのでご注意を。
 
 

 

 
4/26
 私たちのような人間が言われて一番嬉しい言葉はなんだかご存知だろうか。
 「好きだよ」? 違う。「愛してる」? ノンノン。「ありがとう」? まさか。
 正解は、「チケットをご用意しました」だ。
 なんと甘美な響きだろうか。チケットという抽象的な単語を用いるところが、自身への特別感を強調している。私達に向かって謙譲語を使ってもらえることも非日常感が演出されていて心が躍る。リピートアフターミー、チケットをご用意しました。え、マジでー? うれしー。
 2月下旬、友人のYからそのメッセージが送られてきた。それも、Aqoursの函館ユニットカーニバル。熾烈を極めるに違いないと言われていた一大イベント、その一日目のチケットがご用意されたと!
 平日とは言え、函館のホールはキャパが比較的小さい。ファンクラブ会員でなくても応募できるし、単価が比較的安いCDに付属しているので積みによるゴリ押しもしやすい。
 何より、Saint Snowが出る。それだけで通常のライブにも負けず劣らず応募が殺到することは容易に想像できた。
「でも意外とみんな同伴してくれないんですよね。やっぱり北海道は遠いので……僕は夜景を見るために木曜日から入りたいんですけど、よければご一緒にいかがですか」
 あー距離ね。おっかけ始めてからそういう発想なかったな。福岡ファンミ日帰りしたもんな。
 休みは休みのように過ごすだけじゃなくて、痛み抱えながら求めるものさ。私はこうしておこぼれに預かって函館旅行に行くことになった。
 ありがとう弊社。
 でもμ’sファイナルの日に土曜含めて休み取らせなかったことはまだ許してねえから。つーか一生許さねえから。この(持ちうる限りの罵詈雑言)! そんなんだから(社外秘)!
 
 私は母の故郷である仙台より北には行ったことがなく、それだって真夏にボランティアで行ったきりで、元来出不精な私は5年以上東京よりも寒い地域を旅していない気すらする。
 そんな私にとって、初めての北の大地への期待は強かった。東京では新緑薫る季節になろうところだが、今でも函館は銀世界なのだろうか。シロクマはいないだろうけどトナカイは見られるかも知れない、そんなことを考えながら飛行機に揺られること1時間強。随分近いな北海道。
 まだ北海道に行ったことない諸君の夢を壊すようで申し訳ないが、結論から言うと5月の函館にはトナカイはいなかったし、4月26日の最高気温は18℃だった。着いたらどこかの公園で自分だけの雪の結晶を探してエモいセリフを呟くことで理亞充アピールしようと思っていたのに、飛行機の窓から緑の景色を見てそれは無理だと悟った。
 その代わり、函館には慰めるようにSaint Aqours Snowの等身大ポップがあった。何度撮影をしても後ろを通る観光客や隣で撮影している同好の士の腕が写ってしまうのが歯痒い。
 
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 私の、別に壮大でもない函館観光はこうして幕を上げた。景気づけにイセエビのぬいぐるみ(何故かショップしまたろうより安かったんだけど)を買おうと思ったが、生憎今の私のキャリーバッグは防寒着やサイリウム、ライブTシャツやボードゲームなどの生活必需品でパンパンであった。とてもじゃないがこれから旅仲間を増やすだけの余裕はない。
 旅仲間といえば、今回函館に行くきっかけとなった豪運のYについて紹介しよう。彼はラブライブ以外にも多趣味な奴で、自作PC/カメラ/合唱/サックス/水樹奈々と非常に多岐にわたる。この多趣味なことを除いても、雰囲気からして非常に育ちが良い。あの独特の「育ちが良いオーラ」というのはいったい何から発せられるのだろう。彼の赤らんだ鼻頭にかかった金弦の丸眼鏡や、やや小柄な体型に不釣り合いに下げられたキャノンのデジカメを見ながら、「高等教育」という単語が切れ切れになって脳裏をよぎる。彼は私が等身大ポップから興味を失っても暫く撮影を続けていた。
 
 北海道は異国と呼ぶほどに雰囲気が変わるわけではなかったけれど、ホテルの近くまでバスで移動するとエキゾチックな匂いが町全体に充満していることに気がついた。
 灯油だ。
 何故か外より寒い小学校の教室を温める救世主の匂い。あるいは、知人の別荘に薪割りと雪掻きで召集された時に嗅いだ慰安の匂いが、車道の端から端まで漂っていた。きっと現地の人はすっかり鼻が慣れてしまって感じないだろう。その事実に、今更のように旅行に来た実感が湧いてくる。
 本日は旅行初日の木曜日。この日は平日だしライブもないので比較的観光客や同好の士が少ないだろうとYが予報した。
「絶好の巡礼日和です」
 人間が、何に価値を見出すかは本当に分からない。写真映えする料理こそが料理として優れていると考えるインスタグラマーもいる。
 私達はアニメで放映された土地に価値を見出す人種だ。そこには金脈も風光明媚さも必要ない。ローマが下水道の中にあっても敬虔なクリスチャンはやはりローマを目指しただろう。
 しかし、単に見たことある風景を再現するだけでは面白くない。何故聖地巡礼をするか。私にとってその目的は、キャラクターの生活を覗き見することにある。なんでもないような道路や坂でも、そこを毎日通る人はいるし、晴れの日と雨の日では違う景色になる。その風景を、キャラクター達は見ている。例え作中で一度も登場しない場所であっても、そのキャラクターたちが生活している様を妄想する限りその土地は聖地となりうる。人間の妄想の中では確かにキャラクターは生きていて、単なる画像や映像以上の意味を持つ。そしてその想像の中のキャラクターは、生活の細部が詰められるほど活き活きと、素敵な輝きを持つのである。聖地巡礼は、彼女らの生活を想像し、よりリアルに頭の中に創造する大事な儀礼なんですよと、そのように早口でYにまくし立てた気がする。
「じゃあとりあえず近いんで会場の下見に行きますか」
「あっはい」
 

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 函館ホールは丸みを帯びた近代的な作りをしていた。普段はスポーツ大会なんかに使う会場なんだそうだが、この日は全館ライブの準備で貸し切っているらしく、外には照明器具や録音機材を積んだトラックが数台並んでいた。明日はここが同好の士で埋まるのか……と考えると、感慨深いというよりもある種ウンザリした感情が去来した。
 多分ライブ前のなんでもない日にここを下見に来る子がいるとしたら理亞か、ダイヤだろう(ダイヤは迷うから)。
 函館ホールの目の前にはバス停、市電駅、交番と至れり尽くせりの布陣となっている。特に最後のなんて最高だ。交番さえあれば、ユニットカーニバル用のベネチアンマスクをつけて誘導灯のような真っ赤なサイリウムパステルカラーのフラッグを振り回し虎のように叫ぶセーラー服のお兄さんが出没しても即座に取り押さえることができる。
 これはライブの成功が約束されたようなものだな。一つ胸をなでおろすと、ゆっくりと市電がやってきた。もうお昼時である。
 
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 巡礼に来た人の9割が入店したであろうラッキーピエロの名物メニュー、フトッチョバーガーだが、出落ちでしかない。店員さんのベルの音色とともに運ばれてくるモンスターサイズのハンバーガーはきっと、登場する時に一番関心を向けられている。実に美味しそうだ。写真がキャプテン・ファルコンとタメを張れるほど下手なので皆様にこの美味しさを正しく伝えることができないのが残念でならない。
 空きっ腹に容赦なく落ちてくるバテもコロッケもレタスも食べる端から自分の体の一部になっていくようで大変美味しかった。ただ、めちゃくちゃ食べ辛い。ナイフとフォークで切り分けようとすると具材が飛び出しそうになる。かなりうまくやらないと、途中で倒壊するかだるま落としになる。
 そろそろ胃袋の衰えが気になってくる年齢ではあるけれども、とりあえずこれくらいの食べ物だったらまだまだ大丈夫だと分かって安心した。いつかこういう物を喜んで食べる日が来なくなるのだと考えるととても悲しい。って28歳になった国木田さんが言っていた(言っていない)。
 それにしても1日でこれを2個食った花丸は想像以上に健啖家だった。キャパシティ的な問題よりも、ラーメン二郎みたいにでかくて脂っこい食べ物に対する疲労感がある。特に下段のコロッケが曲者で、この子さえいなければ楽に食べられる気がする。
 フトッチョバーガーは調理に時間がかかるので一日20食限定とあるが、ライブ前後の日は多めに捌いたらしく。数日間で300食以上になったとか。みんな食うものは一緒。
 
 環境が変わってから10 kgほどのダイエットに意図せず成功してしまった私は、自分自身がフトッチョに逆戻りするのを恐れ、少し胃ならしに線路沿いの何でもない道を歩き回ることにした。道は広く、ローカルなドラッグストアが周期的に立ち並んでおり、散歩することを想定した道ではないことが分かる。函館を歩いていて少し気になったのが、やたらと弁当を推してくること。ハセガワストアの焼き鳥弁当という名前の豚串の弁当は有名だが、それ以外にもスープ付きのインスタントのやきそば弁当もそこそこ名が知られているらしい。そして歩いていると弁当屋が何軒か建っている。ラーメン弁当なんてのもあった。微妙に弁当の定義が通常と違う気もするが、この弁当推しは漁師が多い町だからだったりするのだろうか。函館は養殖漁業がメインのはずなので、一日で帰ってこられると考えればあながち間違っていないのではないか。
 
 その後迷いながらも、恐らく今回最大の巡礼スポットである八幡坂と茶房菊泉へと到着した。
 
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 まずは八幡坂。一歩一歩、内なる力を感じながら登った。遠くに海を臨める素晴らしい景色である。でも通学に毎日通るとちょっとげんなりするだろうな。
 続いて鹿角姉妹の実家として登場した茶房菊泉。こちらの店員さんは一ヶ月ほど前から同好の士が波のように押し寄せてくることに備え、当日の誘導ボランティアを募ったり特別営業の広報をしたりと精力的に活動してくださいました。
 

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 ひんやりとした空気が心地良い店内には同好の士の交流ノートやスタンプラリーがあったが、アニメには恐らくないものなのでそこまで興味はない。代わりに畳に座って函館新聞を読んでみたり年季の入っているであろう木床の感触を堪能したりする。窓から外を見ると雪かき用に天井へと上るための梯子が見えた。
 ブルーレイの映像特典でも出演していた物腰やわらかいお婆様にご挨拶し、いよいよ理亞の部屋を見学させてもらう。
 

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 これが、鹿角理亞の私室……津軽海峡を飛び越えてついにこの目で見ることができた。たしかに映像で見たものと全く同じだ。だが、部屋に入って真っ先に湧いたのは感動や興奮ではなく、背徳感だった。
 この部屋は、危ない。生活感がありすぎる。
 何かの記念館として公開されている部屋でも何でもない、普段から使っている部屋だ。とても綺麗に整頓されてはいるものの、個人の「まとまっていない趣味」が部屋に出ているのが非常にリアルだ。自分が好きで置いたであろうもの、誰かからプレゼントされたであろうもの、余ったから親が置いたであろうものがごちゃまぜになってこの部屋を形成している。その統一感のブレと、クッションのシワや曇った窓などの少し乱れた形跡が、確かにこの部屋には誰かが住んでいると思わせる。そして、私達にとってその誰かは鹿角理亞なのだ。理亞はこの部屋でお客さんの足跡や笑い声をたくさん聞いていたのだろう。あの日の涙がこのクッションに落ちたのだろう。こんな私室を、知らない輩が覗き見していいのか。そんな背徳感がある。
 私達は理亞が寝起きしている部屋に侵入し、物色し、撮影会をおっぱじめ、壁紙の感触を確かめたりなんかした。テンションは確かに上がっていたが、なんだかとてつもなく悪いことをしている気分になり、部屋を出る時は背中を丸めて目立たないようにした。
 ちなみに店内にはコスプレして白玉ぜんざいを作る理亞がいた。聖良はいなかった。
 
 一通り菊泉を観覧し、外に出て無人販売所のおつまみ昆布を食みながら次に行く場所について作戦会議をしていると、ツアーガイドらしき女性が高齢の方々を引き連れて私達が来た方角とは反対側からやってくるのが見えた。ゴールデンウィークに入る前にも関わらず、函館には同好の士以外にも多くの老人・外国人観光客で賑わっている。特に最近は中国からの観光客を色々なところで見かける。
 ガイドの女性は丁寧に引率し、菊泉手前の船魂神社の解説を始めた。この時、私達と、菊泉前にたむろする同好の士たちに緊張が走った気がする。少なくとも私はとても緊張した。果たしてこのガイドは茶房菊泉を取り上げるのだろうか。高齢の方でもきっと気に入るであろう歴史あるレトロな古民家カフェだ。ひょっとしたら一言二言触れるかもしれない。仮に無視したとしても、今の菊泉前にはちょっとした人だかりと列ができている。こんな北海道の端っこで一体何をしているんだと訝った老人がガイドに質問しないとも限らない。そうしたらガイドはどう返すのだろう。ラブライブサンシャインという単語は出てくるだろうか。
 スマートフォンを調べるふりをしながら横目で御一行を凝視していた。彼女は船魂神社の説明を終えてこちらに歩いてくる。張り詰めた一瞬。彼女は菊泉に一瞥を寄越すこともなく黙って八幡坂まで歩き、そこで解説を再開した。まあそんなもんか。
 

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 その後、ルビりあの成長記念館こと旧函館区公会堂を巡ってホールの音響の良さに戦いたり(ここまで『舞踏会やってそう』な建物に入ったのは初めてかもしれない)豆知識を仕入れたり(この建物にあるホールの一つは洞爺丸事故の裁判を執り行った場所らしい。遺族も傍聴人も山のようにいたからだろう)、ベイエリアに戻って海の幸と地ビールを堪能したりした。私の推しは高海千歌だが、彼女の嫌いな塩辛を食べることだけはやめられなかった。
「いやなんか、幸福だな。僕たちは何しに来たんだっけ」
「なんでしたっけ」
 日は殆ど落ちかけている。これでは普通の観光客だ。いや、普通の観光客の方が良いのか?
 明日の今頃は会場にいるという実感があまりなかった。考えてみれば、こんなマイペースに遠征をしたのは初めてだ。時は穏やかに過ぎ、店内にはスローテンポの音楽が流れ、観光客も、地元の高校生も、居酒屋やコンビニの店員もライブのことなんて知らずに思い思いに日々を過ごしている。そんな日常にパッとあの子達が現れて、その光で私達の心に大輪の花を咲かせてまた次の場所に行ってしまうというのがなんだか不思議だった。
 今は彼女たちのことを忘れたほうが、逆に楽しめるかもしれない。そう思って本日最後の名所、函館山からの夜景を見に店を出た。途中、Yが気つけにスターバックスのコーヒーを注文していたが、若い女性店員に何やら話しかけられていた。
「観光ですか?」
「あっ、えー……はい、観光です」
「どこ見てきたんですか? 菊泉とか?」
「あっ、はい、菊泉とかです」
「ライブ行かれるんですね?」
「え、ええ、そうです」
「私も行きたかったんですけど行けなくて……ちなみに曜ちゃん推しです!」
「僕もです!」
「函館にようこそ、ってカップにサインしますね」
 うーん。詰将棋のような鮮やかなコミュニケーションだ。スターバックスのアルバイト教育の質に舌を巻く他ない。というか地元の人も結構知ってるじゃねえか。
 全体的に思ったのだが、この町の人は観光客の扱いに慣れていて、我々にも優しく接してくれる。我々はその恩義に報いて、またここを訪れようと思う。菊泉から頂いたドリンク券(年内失効)もあるし……
 

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 函館山の夜景は、写真の腕前がない人が撮影してもぼやけてしまって何にもならない。また、展望台側の写真を撮ってアニメのシーンを再現しようと思っても、人がすし詰めになっていて似ても似つかない光景になる。日没後最大の観光スポットである展望台には、同好の士と中国人観光客と部活が終わった地元の高校生や家族連れたちで溢れかえっていた。優れた夜景の撮影はYに任せ、私はAwaken the Powerを聞きながら物思いに耽るなどした。
 これで本日の行程は終わりだ。十字街駅(十字街という地名は北海道に6つあるらしい)から市電でホテルに戻りっても相変わらずライブの実感はなかった。
「少し気分を上げよう」
 もうすぐ日付が変わる時刻に、Yが持ってきたポータブルBDプレイヤーを指差して私は言った。
 
 唐突に2ndライブの上映会が始まったが、当然頭から通して見ると夜が明けてしまう。だからシーンごとに談議し、飛ばせるところは飛ばそうと話した。映像では、メンバーを乗せたトレインが埼玉を突き抜けていったところだ。
「……オープニングの映像飛ばさないのかよ」
 恐らくライブの中で最も飛ばせるであろうシーンを切り捨てられなかった。これは間違いなく徹夜のコースだ。そのことに危機感を持った私達は、半ば強引に鑑賞会を打ち切って就寝した。外では重機の唸り声のような音が絶えず鳴っていて、少し寝心地が悪かった。こんな夜中に工事でもしているのだろうか。
 
4/27
 私は寝起きがすこぶる良い。北方型の建物らしい二重窓を開けて外の景色を見ると、すぐそこに海があった。昨日の安眠を妨げた低音は潮騒だった。
 海鳥たちが群れをなして横切る様と、どこまでも続いていく水平線が美しい。このまま一坪の海岸線のカードになりそうだ。
 二時間遅れでYが起床した。本日はライブ当日である。
 言い忘れていたが、二日目はライブビューイングも取得しておらず、のんびりしてから帰るつもりだ。誤算だったのが、函館は徒歩観光者にとても優しい構造をしていること。見どころが非常にコンパクトに纏まっており、少し離れた観光地も市電を使ってほぼ30分以内に移動できる。昨日回れなかったところと言えば五稜郭函館駅くらいだが、それだって本気を出せば充分可能だった。「北海道は広大である」という先入観に脅され少し余裕を取りすぎたか。まあいずれにせよ、函館山の夜景を撮影するためには前泊するしかなかったのだけれど。
 ということで、今日はあまり観光するところがない。書くこともあまりない。私達は本来の使命を思い出し、函館ホールの物販に参戦することにする。
 
 函館ホールの様相は機能とは全く違っていた。ホールの中も外も同好の士が芋洗いされており、エントランスではひっきりなしにAqoursの楽曲が流れ、フラワースタンドが立ち並んでいた。そして駐車場側では、列をなした同好の士が6回折り返しており、それが階段を伝って二階まで伸びて外周を半分くらい覆っていた。その見慣れた景色に少し旅情感が薄れる。同好の士は年齢も服のセンスも適度にバラバラで、普通に生活をしていたらまず接点を持たないであろう人たちが全て同じ気持ちでここに集結しているのはいつ見ても不思議な気分だ。
 当日物販になるとつい気が大きくなってしまって、余計なものまで買ってしまうものだが、あのエネルギーはどこから生み出されているのだろう。今度は出費を控えよう、そう決意を固くして自分用に11色ブレードとY及び他の友人から依頼されていたブロマイド、Tシャツを買って物販を終えたつもりだったがSaint Snowの指貫きグローブがカバンに入っていたし財布からは2500円が旅に出ていた。油断も隙もない。
「なんかようやくライブの実感が湧いてきた」
 会場付近にいると待ち時間が多く、気がついたらライブまで後数時間に迫っていた。心なしか屯している同好の士も徐々に浮足立ってきている気がする。マスクを付けている人が増えたと思ったら、あちこちでブロマイド交換の市場が立ち始めている。私は私で、同じく豪運でチケットを当てた友人E(私は心の中で天才と呼んでいる)達とブロマイドのトレードを終え、一度宿に帰って仮眠をとっていざ出陣。ライブの幕が上がる。会場では「あなたは最後(列)です!」とe-plusから言われた。まあ良い。アリーナの最後列は一番足場が安定している席だ。
 
  冒頭でも提示したが、函館UCの感想はこちらです。
 
 私はライブのレポートというものが不得手だ。ラブライブサンシャインのライブは1stも2ndもレポートを書いたけれど、難産だったし、2ndに至っては公開できていない。
 恐らく、同じような悩みを抱えた人もいるのではないだろうか。話そうと思えばいくらでも話せるのに、書こうとすると手が止まってしまう。
 私の中ではこの病理の正体についてはいくつか仮設が出ているのだが、「内容が被る」というのが一番大きい。
 レポートは全員が同じものを見た記録だから、記録する内容は丸かぶりする。そこにオリジナリティを加えるためには、類まれなる筆致や凄まじい観察眼、豊かな随想力、あるいは個人としての影響力・発信力などが必要となる。せいぜい私が勝負を挑めるとしたら随想力であろうが、生身の人間のライブを見に行って私はどう感じたか、という「私」に焦点を当てた記録をするのが苦手らしい。ライブのレポートには、大なり小なり作者の人柄や知識量、コミットメントの強さを誇示する場でもあることは分かっているのだが、いざ自分がそれをやろうとするとどうも筆が止まる。(なお、映画や小説の感想文はまた別だ。これらは1.まだ読んでいない人に紹介することで同じ楽しみを共有する人口を増やせる可能性がある。ライブはどの公演も1度きりだ。2.伏線や作者の意図が『少なくとも存在する』ため正解らしきものを見出す楽しさがある。ライブは偶然や予想外の出来事もたくさん起こる。という2点で異なる)
 ということで、本当に詳しいパフォーマンスの内容などは他のブロガーの方を探して欲しい。幸い人気コンテンツなので、多くの敏腕レポーターがインターネットには溢れている。いつもありがとうございます。 
 
 そんなこんなでライブ後。
 
「今日は良い席だったね。明日はも~っと良い席になるよね、ハム太郎?」
 これは明日も現地参加するEの新しい語録である。何故このタイミングでロコちゃんになるんだお前は。天才なのか?
 会場は上着を忘れたまま外に出てしまうほどの熱気で、興奮冷めやらぬままYやE御一行とひたすらしゃべくっていたと思う。外に出ると、ラブライブサンシャインのロゴを電光掲示板に表示したバスが数珠つなぎのようになって押し寄せていた。交通機関の確保まで抜かりがない函館に感服するほかない。
 E達と3rdで会おうと硬い約束を交わして別れた後は、まだ函館で食べていないラーメンとエゾシカを堪能し宿に戻る。
 道中、私はSelf Controlが全くできず、「田野さんがヤバイ」「田野さんは天才」と彼女を褒め称えるだけのポンコツ蓄音機と化していた。
 話は変わるが、元来、神道では霊魂は分割するものではなく増殖できるものだという考えを聞いたことがある(多分、中禅寺秋彦が言っていた)。神様の依代となるご神木などを折って、別の神社に祀ったとしても、それは一つだった神様の魂が分割されるのではなく、同じ霊魂が2つに増えたと考えるのだそうだ。つまり、「推しは選ぶものではなく増やすもの」という思想は日本神道的に正しい。
 だが、あんちゃん推しとしてここまで心奪われるとは正直予想外であったため、自分でもかなり戸惑っていた。減るはずのない慕いが減ってしまうと感じるのは何故だろう。
 田野さんの素晴らしさだけでなく、語りたいことは山ほどある。
 あんちゃんがどういう訳かいつも以上にめちゃくちゃ可憐だった話。
 しゅかしゅーが夜空の下で決めるターンが更に美しく表現力豊かになっている話。
 ふりりんのルビィ憑依度がどこでピークになっているかという議論(私はPSだと思う)。
 すわわがふとした時に見せるシリアスな表情の代替不能な魅力について。
 きんちゃんの低音のビブラートがかなり特徴的で早くCD欲しいという話。
 ありしゃの良さを語ろうとすると語彙が消滅してしまう謎。
 りきゃこがやらかせばやらかすほど、ライブモードのカッコよさが増す謎。
 あいきゃんのライブの総合力は凄まじいのにオフでいじられがちなところが最高にヨハネであるという主張。
 田野さんのあの涙の意味について。
 ヒナヒナは果たしてどれほどの熱情を持って理亞のオーディションを受け、今回のライブに臨んだのかといった推察。
 その他メンバーの腕力や総力など、レポートに残すには野次馬的で気恥ずかしい推察を声が枯れるまで語ろうじゃないか。
 そう思い、部屋で晩酌を試みたが、私は恐らく10分と持たずにコテンと眠りに落ちた。自分の体力不足とアルコールへの弱さが慚愧に堪えない。
 
4/28
 最終日。私達はチケットをご用意されていないのでこの日はのんびりと余韻に浸りながら最後の巡礼をする。書くこともあまりない。
 土曜日になって、函館にやってきた同好の士の人数はピークに達していた。駅にもバス停にもラッキーピエロにも軍隊のように同好の士が並んでいる。今日はライブがあるからまだましだろうが、明日の観光は熾烈を極めるだろう。

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 最後に残しておいた五稜郭及び五稜郭タワー。日本史には明るくないが、こんなに防御力が高そうな建物は初めて見た。堀あり起伏ありでどうやって攻めるんだこんなもん。
 
 桜の開花には少し早いだろうかという時期だが、この数日でかなり見ごたえがある咲き具合になった。バーベキューをする現地の人もたくさんあり、いい季節に来られたことに感謝する。同好の士が密集することでちょっと暖かくなったのかもしれない。
 昼食は海鮮丼。なんというか本当にただの観光をする客になってしまった。私のようなドケチな人間でも、年を取り、財布に少しばかり余裕ができるとこういうことをやり始めるものなのだな。
 かと思ったら、赤レンガ倉庫の横でジャージ姿の高校生集団がジブリの「さんぽ」を歌いながらランニングしているところに遭遇してテンションを上げたりしていた。そうそう、こういうのだよ。私達は観光客じゃなくて巡礼客だから、むしろこういう光景の方が見たい(かどうかは個人差がある)。
 さて、本当にのんびりしていたらあっという間に2日目のライブが始まり、私達は函館ホールに吸い込まれる人々を指を咥えて眺め、反対方向の空港へ旅立った。
 ゴールデンウィーク最初にして最大のイベントはこうして終わった。飛行機の中ではスタッフロールが流れる夢を見たような気がする。
 
 キャスト並びにスタッフの皆様、見ごたえある、最高のライブをありがとうございました。またユニットカーニバルという形でどこかで会えることを楽しみにしております。私のアンケートもよろしくおねがいします。
 同伴したYよ、連れて行ってくれてありがとう。3rd埼玉初日は俺が君を拾う番だな。
 現地でブロマイド交換や談笑をさせていただいたE御一行よ、楽しい時間をありがとう。今度また遊びましょう。それとよしりこSSはごめんもう少し待って。
 函館地元の皆様、お騒がせしました。嫌な顔ひとつせず迎えてくださって本当にありがとうございます。旅の思い出が増えました。少しでも財政の足しになれば幸いです。あの市電って赤字らしいっすね。
 読んでくださった皆様、少しでも暇をつぶせたのならば嬉しいです。ありがとうございました。
 
 帰るまでが函館UC。SNSで無事の帰宅をしらせ私は眠りについた。
 あの町に染みた灯油の匂いが、少しでも私の身体にも残っていたらいいなと思った。