コゴリオン

最近はラブライブサンシャインとか嵌まってる。ハースストーンと東方は今も好き

会社の上司に初めてキャバクラに連れて行ってもらった時の日記を掘り起こした

※文章の練習、及び好きなロックバンドの宣伝のつもり。
 
 「好きな動物は?」という質問に対して僕が答える時、思い描く動物たちはいつもイラストの形をしている。
 
 僕は金魚とカラスが好きだ。特に金魚は結構好きで、毎年恒例になりつつあるアートアクアリウムには一人で累計3回入ったし、金魚をモチーフにした樹脂作品を作っている深掘隆介の個展にも2年ほど前に行った。
 だが、金魚すくいはしたことがない。金魚を飼うつもりは毛頭ないのである。
 僕が愛しているのは納涼の象徴としての金魚であり、和紙の上に活き活きと紅で描いた金魚であり、品種改良を経ておよそ生物とは思えないほどの美しさを手に入れた神聖な生物としての金魚なのである。安い鉢の中で切れの悪い糞をする金魚は見たくない。
 同じことはカラスに対しても言える。美しい黒さの代名詞となるカラスの濡れ羽が好きだ。堅い木の実を道路に落とし、車に轢かせてから中身を啄む狡猾さが好きだ。執拗に敵の目を狙って攻撃をする卑怯さが好きだ。だが銀座の生ゴミにまみれたカラスたちに近付きたいなどと思うはずもない。
 要するに僕は、その動物が「生き物として」好きなわけではないのである。その生き物を抽象したものが好きだ。
 みんなはそう思わないのだろうか? 想像の中の金魚は実際よりもずっと雅で、美しく、縦横無尽に水の中を舞う。空も飛んだりする。そこだけを愛することは、金魚を一番良い状態で固定することになるわけで、最も美しく世界を彩る考え方だと思っている。
 とはいえ、この考え方はとても危険であることもまた事実なり。「○○そのものでなく、捨象した○○だけを愛していたい」というこの伏せ字に『恋愛』とか『異性』などといった単語を当てはめてしまった人間がどういう悲惨な人生を送るかは目に見える。時として、自分が捨象してしまったものに焦点を当てることもやはり必要だ。幻想の世界に生き、好きなものを都合良く解釈して悦に浸るだけでは人生を充分に楽しめない。人は一人で生きているわけではないのだから。
 
 このような理由から、僕はキャバクラに行った。お分かりだろうか?
 

 

 
 もう少し、別の方向から説明する。
 僕が敬愛して止まないバンドマンに山田亮一という男がいる。彼は、反体制の精神を含みながら完全な悪やアングラにはなりきれないような、そういうケチな世俗を風刺することに関して卓越している。パチンコしかり、非リアの遠吠えしかり、未成年喫煙しかり。
 彼の楽曲、「キャバレー・クラブ・ギミック」はとても好きな歌の一つだ。
 
 
――キャバレー・クラブ・ギミック 頭の中全て 空っぽにすれば楽しいっちゃ楽しい
――キャバレー・クラブ・ギミック どういう了見でこの 安物のウイスキーがこんな値段になんのか
――メイク・ラブ・ギミック 善良な中年の 欲求は狂った思春期の熱を帯びる
――サタデー・ナイト・ミミック 勘定の時に見た あどけない八重歯がやけに染みつく夜
 
 
 いやーほんとすこ。特に最後。あんだけ「まあキャバクラの仕組みは分かるよ。楽しいんじゃねえの。こんなのにハマる奴は馬鹿丸出しだけど」と冷笑した雰囲気を出しておきながら、最後の最後にはしっかり嬢にときめいてんじゃねえかお前っていう。しかも「あどけない八重歯」ってお前。嬢のやんちゃっぽい印象に惹かれてんじゃんお前。それまでの歌詞を見る限り尻軽でIQの低そうな女は嫌いみたいな雰囲気だったのに。とまあ、こういう流れが本当、『充たされず抑圧されて育った人』という感じがして好きなのだ。体裁を気にするあまり自分が何に楽しみを見いだしているのか分からなくなっているんだね。そして「自分は他人と違うのだ」とひとしきり嘯いた後で、一人になってから「やっぱり俺もみんなの仲間に入れて欲しかった」なんてこぼしたりするのだ。
 さて、僕はこの曲を聴いた時、自分がキャバクラに行った時もこの歌の通りの感想を抱くだろうという予見を持っていた。
 
――キャバレー・クラブ・ギミック この薄明かりの中 目を細めりゃ可愛いっちゃ可愛い
――キャバレー・クラブ・ギミック 理屈っぽい性分と 妙な自尊心が邪魔で笑えもしないのさ
 

 

 というか、そうであった方が『自分が考える自分の性格の解釈』と一致するのである。自分を主人公に見立てた小説を書き、その小説の中で自分をキャバクラに入らせた時は、これくらいのことを言って欲しい。間違っても、口説いたり説教したり泣き言を言うなんてつまらないことが店の中で発生して欲しくはないのだ。それは、自分が抱くキャバクラの幻想に反する。その幻想は出来ることならば守りたい。この感覚に共感して貰えるだろうか。それとも実はこの感覚、みんな16歳くらいで卒業するものなのだろうか。
 いずれにせよ、このような理由で僕はキャバクラを拒んでおり、冒頭に挙げたような、「捨象したものだけを愛していては助け合いの世の中で生きて進めないであろう」という理由でその拒みを取り消した。
 
 そういう訳で、上司に連れられキャバクラに行った。お分かりだろうか?
 
…………
 
 よし、一番書きたいところが終わった。ここからは日記です。
 華の金曜日、会社で大きめの発表を終えた僕は、課長以上の人たちに囲まれてロボットのような動きで酒を口に運んでいた。その中で一番偉い人が僕の対面におり、結婚活動と自己投資について説いていたと記憶している。僕はそれをげっそりと聞いていた。
 とはいえ、その飲み会の主役は僕ではなかった。今回の主役は僕の直属の課長だ。彼は先週の週末に何の前触れもなく2日の有休を取り、台湾旅行に行くという管理者としては中々に野性的な行動に出た。僕としては特に不自由はなかったし、むしろ休みやすい空気を作ってくれたことは嬉しい。しかし好色家として有名な彼のことだから、そのバカンスにおいて台湾で繰り広げられる夜市の夜市たる所以を堪能し尽くしたであろうことは想像に難くない。集った管理者達は、自分たちが熱心に仕事をしている時に僕の課長が味わった夜市の話を聞きたかったのである。課長も諸々の業務をバックれた負い目があるから語らざるを得ないだろう。
 
 上司の赤裸々な体験談は本人の名誉と特定回避、それから台湾への風評のため割愛する。そして、話の矛先は唐突に自分に向く。
 君もこういう経験をしたらどうか、と。今日の褒美に奢ってやろう、と。
 飲みの席には独身にして熟練のキャバクラマスターと、既婚者にして夜市の踏破者がいた。僕は二人の間に挟まれて、steamで購入したダークソウルの続きをやりたいとか考えていたが、既に大分呑んでおり、酔ったままダークソウルなんかやってもゲームにならないなあとも考えていた。
 
 そして私は、上司に連れられキャバクラに行った。もうお分かりだろう。
 
――人恋しくなって あるいはポケットの中 泡いている小銭の捨て場に困って
――この町で三番目に 器量の悪い女に 誘われるまま雑居ビルの五階へ

 

 頭の中では山田亮一のかき鳴らすリフの音がずっと反響していた。
 
 グーグルマップに導かれ、店舗の入り雑居ビルの前に行くと、黒い服を着た借り上げのお兄さんと顔の良いお兄さんが待ち構えていた。黒いスーツを着こなした彼らを前にして二人の上司は値段交渉をする。日本でこういうやり取りをするシーンにはあまり巡り会った覚えがなくて、そこだけ無国籍の場に感じた。何しろ性欲は万国共通だからな(?)。
 上司二名はガタイが良くて声が大きい、僕がその陰に身を折りたたんでいると交渉は妥結したようで、雑居ビルへと誘われた。居酒屋と居酒屋に挟まれた階に横文字の店舗があった気がする。エンジェルとかヘブンとかそんな感じのやつ。何でも無い単語なのにキャバクラであると一目で分かるのは多分フォントの持つ力だと思う。
 
 さて、ここまで散々引っ張ってきたものの、店に入ってから嬢と話すまでの具体的な記憶にはあまり興味が無いから流し書く。
 内装は白かった。壁はクリーム色で変にでこぼこであり、その突起にある金属部が照明を妖しく乱反射させていたのを僕は物珍しげに見ていた。ソファも白かった。何故こうも白いのだろう。白は汚れが目立つし、僕は黒っぽい色の方が好きなのに。そう思う一方で、これぞキャバクラだろうと行ったこともないのにその内装に納得している自分がいる。喫茶店の針時計が茶色かったり牛丼屋の照明がやたら明るかったりするような、しきたりめいた演出効果があるのだろう。しかし、やってくる嬢まで白や水色のビビッドカラーを身に纏い、煌めく小さなバッグを携えている。やっぱこの色彩は分からない。もっと酒を呑んでおけば、このギラギラした光が自分を照らしていると錯覚するようになるのだろうか。
 その白いソファに嬢A、上司A、僕、嬢B、上司Bの順で座る。座る前から上司二名は舌のギアを上げていて、僕のことを紹介しつつも楽しげに会話を始めた。僕は話を振られたときに曖昧に笑って何事か言った気がする。正直、序盤の話は全く覚えていない。内装を記憶しておこうと必死だったのかも知れない。
 けれども、途中から上司Aと僕の間にあてがわれた嬢Cのお陰で落ち着いて会話ができるようになった。敬意を込めて彼女はさん付けで表記する。嬢Cさんが一言喋った段階で、すぐにこの人はある人種のテンプレ的だと思った。声が低くて早口。喋る時の体裁よりも喋りたいという衝動の方を優先して年を重ねると人はこういう声になる。世間的にはオタクと呼ばれている。彼女が座ってくれた時は正直かなり安心した。
 その後、嬢Cさんとは概ね以下の箇条書きのような話をした。
ジンライムを頼んだらその液体の緑さに両脇の嬢たちがひとしきり驚いてくれた。飲み物を注文するだけでここまでレスを貰えるのは初めての経験だ。しかも褒め方も堂に入っている。いわく「これ頼む人初めて見た」。この褒め文句でプロの技術を感じた。僕が、『他の人とは違う。マイノリティであることはかっこいいことだ』という性質に優越感を感じる性格だろうということをこの段階で完全に見切られたのだ。服装が決め手だったのか顔が決め手だったのか、訊いておけば良かった。とにかく、合コンのさしすせそなんていう素人の手口とは格が違う賞賛の名手だった。
・嬢Cさんは右手に腕時計を嵌めていた。これは会話の糸口を意図的に演出するサインだろうかと勘ぐったが、仮にそうだとしてなんだって言うんだと思い、僕は嬢Cさんに対して左利きですか? と聞いたが「そう思うじゃないですか、違うんですよ」と言う。よく見ると、彼女の左手首はパワーストーンで編まれたブレスレットでふさがっていた。(余談だが、この「そう思うじゃないですか」という一文に会話のテクニックを感じる。意識していても僕には中々できない)
・昔、霊媒師の客にこのパワーストーン製ブレスレットのケアについて忠告をされたという。退魔のアイテムというのは上質なレザーブーツや使い込まれたスキレットのように入念な手入れが必要だ。具体的には清めの塩に漬け、穢れの一片も残さないように真水でちゃんと洗えという。しつこい油汚れかよ。そんなことしたら下水道が厄まみれになってまうやんけ。そう考えるとなんだか面白かった。
・趣味を問われたのでゲームと言いかけたところを虚栄心からドラムと言い換えた。すると、腱鞘炎になるんじゃないですか? という質問。初っぱなのリアクションがこれだったのでなんとなく音楽の趣味が分かった。実際彼女はV系が好きで、ドラムを叩く人間の筆頭として思い浮かぶのはヨシキであった。
霊媒師以外に変な客がいなかったのか訊いた。彼女は前のお店が吉祥寺にあり、そこではキレ散らかすお客さんや便所で寝るお客さんがいたんだそうだ。彼らをボーイ達がどうやって相手取っているかは知らない。しかし必ず上手に片付けていなければ店はやっていけないだろう。
・グラスに水滴がつき始めると拭くという教育が施されているのが奇妙だった。なんか意味とか効果あるのだろうか。「へー」とは思ったけど。
 
 そしてきっかり一時間、上司もとりあえず満足したようで、恙なくサービスタイムは終わった。綺麗に揃った三名の営業スマイルに対して、自分がどんな笑い方をしていたかは知らない。気付けば終電の時刻は迫ってきていて、奇妙な夜はこうして更け切った。
 
…………
 
 本日の結論です。まず、キャバレー・クラブの構造が分かった。僕はこういうお店が、女の人と対話することを売りにしているサービスだとばかり思っていたがそうではない。嬢達はプロの反響板であり、こちらがどんな適当な気持ちで会話のボールを投げても、それを美しい角度で跳ね返すクレイコートの壁を演じている。このようなお店に通い詰める『善良な中年』は、自身の会話がどれだけ若い女に通用するのかという挑戦をしたいわけではない(挑戦することそのものを趣味としている場合を除く)。ただ彼らは、無限に肯定して欲しいのだと思う。生きているだけで美しく、そして偉い若い女に肯定されたがっている。僕はそう解釈した。キャバクラでの対話ゲームに巧拙はない。トーク術が優れていようがいまいが、リザルト画面は甘々だ(極めきったら面白いことになりそうだが、まー僕はいいかな)。強いて言うなら課金ゲームの側面はあるので、勝つ気がある人には優しいシステムだと思う。
※間接的に上司を批判しているように見られるかも知れないが、承認欲求自体はどんな人間にもあるから、それを否定するつもりはない。僕はそれが三大欲求にも食い込むと思っているので、キャバクラに通い詰めるという性質そのものは、健啖家とか好色家くらいの性格の一種だと思っている。
 構造としてはここまで。あとはこの構造が『自分に向いているか』であるが、結論は『向いているため意識的に遠ざけたい』である。元来、僕は他人と会話するよりも、他人に投げかけた言葉の反響を確かめて自分と会話している節がある(最近勧められた性格診断にまでそれを指摘された)。そのため、どの角度から投げても正確に返してくれるプロ達はまさに自分が求めるコミュニケーションの形としてうってつけと言えよう。だから、この壁打ちにハマってしまうと僕は、立派に思春期の中年になるだろうと踏む。
 最後の結論、やっぱ山田亮一は凄いので彼のバンドであるハヌマーンバズマザーズの曲を聴いて欲しい。ちゃんと彼の歌通りの気分になれたよ。
 
 
 以上です。上司氏、貴重な経験をさせていただきありがとうございました。ご期待されていた謝辞の中身とは違うと思いますがお納めください。