コゴリオン

最近はラブライブサンシャインとか嵌まってる。ハースストーンと東方は今も好き

こけしの嫁入り

 日記。習作。

 

 

 僕はその日、年度で初めてスーツの上にコートを羽織った。それなりに値が張りそうな黒い中綿のコートは、太ってしまったMという名の友人が、襟が窮屈になったという理由で譲ってくれたものだ。着道楽の友人は古着屋に寄りつかずに余った衣類はこうやって知人に振る舞っては周囲から即物的な人気を集めていた。稼ぎは僕の二倍はある。僕は彼が流す服飾ルートの常連の一人であり、大いにその恩恵に預かっているのだが、クローゼット前に立つ度にあの男の嘘くさい笑顔が頭をちらつくのはなんとかならないものか。
 それに、譲り物の服が真の意味で似合うことはないのである。どうやったって服は最初に出会った所持者の形に変わっていき、それは譲られたものの体型の間に埋めることのできない過不足を作り出す。分かってはいるが、僕は意志が弱いから、きっぱり断ることができない。
 いつもより少し早い時間に家を出て、たまらぬ寒さに身を縮こまらせる。前のボタンは留めていたしマフラーを纏っていたが凍える手を防ぐものを僕は用意していなかった。
 マンションの廊下を革靴が踏み鳴らしていく。冬に差し掛かると色んなものが急に静かになって、秋まで活発だった生命の残響みたいなものがよく聞こえるようになる。僕は急ぎ足で駅に向かっていたが、途中赤信号に捕まってしまったので、スマホを立ち上げて母にメッセージを送った。
 
『三分前に駅に着く予定』
『了解、今日はよろしく。ばあちゃんも喜んでたよ』
 
 普段はあまり反応の早くない母だが、この時はすぐに返信が来た。待ち時間でイヤホンを装着した僕は米津玄師のlemonを流して横断歩道を渡った。この曲は、大切な家族の死を題材とした曲だという。それを知ってからというもの、この曲を聞くと祖父を思い出しやすくなった。
 
 祖父は僕と違って野心の強い人だった。出世するための趣味を作り、祖母にも手伝わせ、そして実際、会社の中ではそれなりに勝ち上がったサラリーマンであったそうだ。そんな祖父にはちょっとした収集癖があった。
 祖父は多分、あふれる野心を形で示したかったのだと思う。ゴルフクラブ、トロフィー、腕時計、ウイスキーに世界の名著、五木ひろしの旅ビデオ……どれも引き出しの中に溜め込んでおくような代物ではないのに、それらは一箇所にまとめられていて祖父の家を随分と圧迫していた。ちなみに本棚に並んでいた世界の名著から、パスカルジンメル、カントと引っ張り出してみたが、全てスピンが同じ形で挟まっていた。一度も開いたことがないという意味だ。
 だがそれらのコレクションは些細なものだ。祖父の収集癖は、とあるものに対して異常に執着していた。今日はそれを片付けるのに人手がいるということで、午前の仕事を休んで家族揃って祖母の家まで来ている。
 千葉県の某駅で母と弟と待ち合わせをしてタクシー乗り場で待つ。およそ一ヶ月ぶりだが変わりはない。僕より身長が高い弟は山にでも行くような深緑色のブルゾンを着込んでスマホを覗き込んでいた。最近彼はスマホの中のアイドルにハマっている。
 
「おはよう。何そのコート、初めて見た」
「Mにもらったんだよ」
「まだそんなことしてんの? ああいう奴に弱みを与えるのはどうかと思うね」
 
 僕は答えず、前の客がタクシーに吸い込まれていくのを見ていた。すぐに僕たちの番になる。
 会話はやや食い気味だが根が優しそうな運転手に運転してもらい、鴉が多い住宅街で降ろしてもらう。
 向かいで玄関先を掃除しているおばさんが挨拶をしてくれたのでお返しする。千葉とはいえ、向こう三軒両隣であれば娘の勤務先まで知っているようなオープンなコミュニティを誇る住宅地だ。
 
「あら、来たの? 早いねえ」
 
 鍵が開いていた祖母宅の敷居を跨いで靴を脱いでいるとすぐに二階から声がした。祖母は僕らの話をあまり聞こうとしないが耳が悪いわけではない。単に喋りたがりの仕切りたがり屋なのである。
 靴を脱いでいる間に、視線をちらりと玄関脇にやる。入って右手側に、僕の肩くらいの高さの、引き出しがついたショーケースが一台。
 リビングに入って、左手側に、玄関の倍くらいの大きさのケースが一台。
 やや曇った厚手のガラス戸の中に三段立てられた棚。そこに横隊を組む、顔、顔、顔。
 無表情をあつらえた頭を支える、頼りなさげな寸胴の木。銘々に墨や朱で模様が入れられている。

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 鳴子のこけしである。
 五百体はいる。
 いつ見ても壮観だと思っていると、どすどす足音を立てて祖母が降りてきた。
 
「いま茨城のおじちゃん達が駅近くにいるそうだからね。すぐに着くよ。かりんとう饅頭でも食べるかい?」
「うん食べる、その前に線香あげさせて」
 
 宮城生まれの祖父は、僕が生まれた時から郷土の伝統工芸品の群れを、家で一番視線が集まるところ──テレビの横に飾っていた。
 大小様々、表情もいろいろなこけしは、家を守るようにいつも同じ場所で佇んでいた。
 素人目にも、これが決して粗末な仕事ではないことが分かる。ヒノキらしき滑らかな木肌に、入れられた朱は二十年以上経ってもまるで色褪せない。
 線香を上げて、差し出されたかりんとう饅頭を食べる。時々、こういう食べ物を食べると胃に苦しくなる時がある。自分も、親や家と同じでちゃんと年をとっているようだ。
 
 先立たれて独りになった祖母は、三年ほど前から僕の両親の近くに引っ越すことを考えていた。そこで問題となったのが、この鈴なりになったこけし隊の処遇である。
 物理的だけでなく、精神的にも重い問題だった。こやつらは祖父の形見の象徴とも言えるもので、祖母にとっては邪魔だからとあっさり切り捨てられるものではなかったのだ。引っ越すことを決めてから既に三年も経っている原因もまさにそこにあった。二年ほど前、「新居にこれを持って行けるわけがないから捨ててもいいよね?」と母が再三確認をとったのにも関わらず、いざ引っ越しが近づいたら「聞いてない。捨てない」の一点張り。一度目の引っ越しはご破算となった。
 その癖、祖母は時折新聞の隅っこに載っている怪しげな掃除業者の広告を見せて、彼らに頼めば適切な処分がされるのではないかなどと言い出す。
 金になると思っているらしい。
 僕らの手によって捨てられた方が余程マシだと思った。
 こうなったのは祖父にも責任がある。祖父は生前、こう言った。
 
「一体だけ、傑作があるんだよ。卯三郎という名が入れられているものだ。今の相場では三百万を下らないかもしれん」
 
 もちろん、その事を知ってから僕らは大急ぎで全てのこけしを検めたが卯三郎という名前は見つからなかったし、違いも分からなかった。だが、確かにオークションにはそれくらいの値段で取引されているこけしがあるようで、卯三郎という職人も名匠であったらしい。そのことが僕らの諦めを悪くしていた。
 そうして処分できずに更に月日が経ち、売り時を逃そうかと思われたその時、ようやく打開策を見出すことができた。
 捨ても連れもせず、こけしの新たな置き場所を作ってやろう。
 これから、こけしを茨城在住の親戚に輸送してもらい、小さな記念館に展示してもらう運びとなっている。
 
「来たよ、ばあちゃん。トラックは表に停めておいて大丈夫かな?」
「あら、いいよ、停めといて。来月から向かいの家も取り壊すのよ。早めに来てもらってよかったわ」
 
 一、二回しか会ったことがない無い親戚のおじさんが二人、中型免許が必要そうな大きめのトラックから降りてきた。それぞれ紺色と緑色のダウンを着膨れさせた五十代くらいのおじさんだ。紺を着た方は額に平行に刻まれた皺が、いなせな気難しさを浮かび上がらせており、緑色の方は目尻に皺が多い優しげな風貌だった。確か、紺のおじさんは実家で蕎麦屋を経営していたはずだ。
 彼らは手慣れた様子でたくさんの空箱を荷台から出して縁側に積み上げていった。僕らはそれに毛布を敷き、大小様々なこけしを詰め、蓋をしてトラックの荷台に乗せる。
 単調な作業だが一筋縄ではいかない。なんたってこの場には祖母がいるのである。祖母はこういう作業になると、自分が詳しいか詳しくないか、自分が手伝っているのか見ているだけなのか、そういうのを全部無視してとにかく指示を出したがる。
 
「あんた、そんな毛布の巻き方じゃ傷つくよ!」
「ガムテープがいるんじゃないの? 二階から持ってくるから待ってなさい」
「何よあんた、非力ね」
 
 うっせ、と母が漏らす。言い忘れていたが、この祖母は母方の祖母である。いつか母も指示出し側に変異するのだろう。そう考えると不安が募る。
 僕らは聞こえないフリをしたが、ずっと無視を決め込むのは流石に可哀想であったので、僕を中心として時々指示を受けたり逆になにか工具を持ってくるよう提案したりした。花瓶を部屋の右側に置いてもらった後で、内装がしっくり来ないから次は左側に置いてもらい、やっぱり右の方が良かったから再度右に置いてもらう――僕が祖母にやってもらった仕事はおよそそのようなものを想像してもらえばいい。いや、そこまでひどくはないけれど。
 祖母は米寿が近いというのに健康そのもので、数年ほど前、車に脚を撥ねられた時も示談なしに立ち去ってしまったのだそうだ。毎朝五時に起きて散歩をするし、信心深く寺社巡りをする。うちの階段だって、山奥の神社くらい勾配が急なのに上下する速度は恐ろしく早くて配達員も眼を丸くしていた。ただ少し、仕切りたがるだけだ。
 そうこうしているうちに僕たちは大小様々なこけしを十箱くらい詰め込んだ。まじまじと見ると、造り手の個性が分かって面白い。ねぶたのような濃い顔つきのようなものから、目と口にあたる丸を三個書いただけのシンプルなものまで。パッと見ただけで作者が分かるような強烈なのもいる。
 僕の好みは少し顔が薄い、素朴な感じのやつだ。胴回りには朱と墨が交互に塗られていて、花びらの形に鑿が入れられているのを除けばどことなく洋風にも見える。
 暫くは僕が棚からこけしを降ろし、母が詰めて弟が縁側まで運ぶという体制を取っていたが、既にあらかた降ろし終えた。いよいよ本格的な重労働の時間だ。部屋の冷たい空気をいっぱい吸い込んで、空っぽになったケースと対峙する。
 僕の背丈より高いケースで、下部は引き出しになっている。昔は乾電池や腕時計なんかがいっぱい入っていたと記憶するが今は片付け済みのはずだ。
 ガラス製の仕切り棚を、べとべとに溶けかかったプラスチックの緩衝材から剥がして解体する。ガラスというのは重いのに脆い、めんどくさい素材だ。でも、この仕切りが重厚な透明でなかったら、これほど壮観な眺めは実現できなかっただろう。
 筋肉を発達させる運動はランニングとドラムの練習しかしていない僕だから、重いものを上げたり下げたりするのはなかなかに堪えた。特に、仕切りや扉などを取り外して、残ったケースを運ぼうとしたがこれがまあキツイ。腕はぶるぶる震え、肩が抜けそうだった。
 いや、待て。いくら何でも重すぎないか? 木製の引き出しと枠しか残ってないぞ、こんなものを二人で持つのにここまで苦労することがあるだろうか。
 
「なんか、引き出しに入ってないか?」
「まさか」
 
 弟が勢いよく引き出しを開けていくと、一番下の引き出しで、鈍い音がした。
 
「あらまあ!」
 
 祖母が素っ頓狂な声を上げる。奥の方に、暗い空間に隠れるようにしてたくさんの瓶が出てきた。ジョニー・ウォーカー黒ラベルとVAT69の700ml。今や日本でも簡単に手に入る安物のスコッチ・ウイスキーが、へそくりのような場所でねんごろになっていた。恐らく昔は価値ある輸入品だったのだろう。母方の家系は何故かみんなして先物がとっても下手なのである。
 その酒瓶の価値を知ってか知らずか、祖母はまるで童女に戻ったようにはしゃいでいた。「まったくあの人ったら……」そう呟きながらも嬉しそうな所を見ると、やっぱり祖母と祖父はとても長い間夫婦で、僕が知りもしない思い出を沢山抱えているのだろうという当たり前のことに思い至る。事実として分かっていても、本当に思い知らされる光景を見るまでは全くの無意味だ。
 祖母は飲みもしないのにその瓶を全部また別のところにしまおうとするから、適当に訪問者たちで分配する運びとなった。ウイスキーだから、数十年程度なら大丈夫だろう、多分。
 片付けが終わると、おじさんと僕は再びケースを持ち上げた。呆れるほど簡単に持ち上がった。ぎっしり詰まった液体というのはかくも存在感あるものだったか。僕らはケースを縁側にどかっと降ろした。
 
「面白いもんが見れたな! さ、残りは積み込みだけだ」
「まあまあ、折角だからちょっと上がってお茶しなさいよ。お赤飯とか用意しているんだから」
「ああ、じゃあそうさせてもらおうかな」
「待っ――」
 
 フードハラスメント、という言葉をご存知だろうか。ひょっとしたら知らなくても、あなたも体験したことがあるかも知れない。加害者にせよ、被害者にせよ。
 実家に帰ってきた貧乏な大学生、あるいは飲み会に久々に参加した痩躯の若手社員、彼らの不摂生はおじいちゃんおばあちゃんに取って正すべき最高の病気なのである。勝手におかずをよそい、チャーハンを注文し、なくなったらまた食べさせる。出された食べ物は断り辛い。そうしてまた体型が歪になるのである。
 もてなしモードになった祖母は漬物と赤飯とおかきと笹かまぼこと、デパートから買ったらしい謎の惣菜を次々と並べた。「食べるかい?」と訊く頃には既に皿を持って食卓に近付いている。僕は何の魚か分からないフライを齧り、緑色の平べったいパスタを頬張る。齧っても、何の魚か分からない。成型した魚肉か?
 タバコ臭いダウンジャケットをソファに掛けた蕎麦屋のおじさんは、呆気に取られながら逃げるように緑茶を呷って、赤飯を摘んだ。
 
「この赤飯、小豆じゃねえな。大角豆だ」
「ササゲっていう豆があるんですか。初めて聞きました」
「茨城には同じ漢字を書く地名があるんだよ。それと、武士にとって大角豆の赤飯っていうのは縁起が良いんだ。小豆は煮ると皮が破けちまう。それが武士にとって腹切りを連想させちまうからまずいんだな」
「へえ、面白いですね。僕ら、武士じゃないですけど」
「俺んとこの先祖は武士だって、占い師が言ってたぜ」
 
 そう言えば、祖母も昔似たような縁起の話を聞かせてくれたのを思い出す。
 縁側の向こうには、大きな白い椿の花が飾られていて、冬の終わりに花開くのを何度か見たことがある。
 
「椿っていう花はね、武士にとって縁起が悪いのよ。花が散る時に、花びらが取れるんじゃなくてぽとっと花全体が落ちるでしょう。それが、首が落ちるのを連想しちゃうって」
 
 あれ? じゃあおじさんの親戚が武士だって言うなら、ここに椿を飾っておくのは良くないんじゃ……まあいいか。
 それから、祖母の知り合いの大学受験の話や、近所の引っ越しの話を聞きつつ、祖母が満足するまで食事を続けた。弟は僕の倍近いスピードで惣菜を片付けていっている。けれど、あんまり美味しそうではないな。
 さあ再開するかと思ったら今度は味噌汁を出された。そういうことを三回ほど繰り返した後に、ようやく積み込み作業に戻る。
 僕はトラックの中に乗り込んで、受け取った積荷を奥の方に押し込む役割だった。少し膨れたダンボールを、崩れないように工夫しながら積み上げていって、それをケースで支えてやる。サークルでこの手の仕事はお手の物だ。32インチのティンパニや5オクターブのマリンバに比べたら、大して繊細な備品でもない。腰のあたりが痛んできたが、それ以外に特に気になることも無く、積込みはすぐに終わった。
 
「お疲れ、今日はありがとうね」
 
 祖母はにっこり笑い、僕たちに頭を下げた。その気品と愛嬌が一体になったお辞儀を見ていると、なんだか自分がしたこと以上に良いことをした気分になる。こんな風に、徳の高い雰囲気を出せる老人になりたいものだ。
 
「疲れたでしょう、じゃあ最後、お茶でも……」
「あー、いや、いい。もう行かないとな」
「そうよ、今日中に開梱して、迎え入れてやらなきゃならないんだから、ゆっくりしてる暇なんてないわ」
 
 慌てて蕎麦屋のおじさんが言って、母が援護する。武士のおじさんが、最後に積み忘れていた自分の分の酒瓶を押し込んだ。
 
「嫁入りだものな」
 
 深く刻まれた皺を笑わせて、蕎麦屋のおじさんは言う。ここにいる未婚者はみんな男だ。
 
「嫁入りって、誰のよ」
こけしのさ」
 
 トラックの積荷が閉じられる。
 これだけ沢山の人型が茨城に嫁いだら、さぞ賑やかになるだろうなと思った。でも、たとえどんな場所に飾られたとして、僕にとってはあの玄関脇と、テレビの横に置かれた古びたショーケース以上にしっくりくる場所はないのである。湿気や日光に晒されて傷んだこけしは、きっと祖父の家が一番似合う。服と同じで、最初の持ち主の形になってしまったら、次の場所に行ってもその過不足は永遠に残る。
 現実世界の別れには、映画と違って壮大なBGMも気の利いた言葉の応酬もない。いつだって、「え、あれが最後だったの?」という別れ方をする。かつての僕はそれを分かっていなかった。
 
 僕は祖父の死に目に立ち会えなかった。その日、僕は大学のサークル合宿で河口湖にいて、夜に飲み会を楽しみ、朝になったら全てが終わっていた。僕が寝ている間に震えたであろうスマホは、僕に何ひとつの予感ももたらしてはくれなかった。二日酔いがいっぺんに醒めて、半狂乱で親に電話したことをよく覚えている。何故、もっと早く連絡できなかったのだと父に当たり散らした。死期なんて、本来誰にも分かるわけがないのに。
 祖父への思い出はきっと人並みだ。けれど、忘れることのできない苦い思い出が、逆に祖父の喪失感を強くしているのだと思う。
 
 排気するトラックに手を振りながら、過去に浸る。
 僕が生まれた時から家にいたこけしが、嫁いでしまっていなくなった。
 そう考えると、どうしたって感傷的になってしまうんだ。
 一番心の籠もった祖父の遺品と、こうして別れることができて嬉しく思う。
 

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 まあ、一つだけ持って帰ったんですけどね。